組曲『惑星』op.32 より 木星(ジュピター)

《ホルストの章》

グスターヴ・ホルスト
(イギリス)
1874-1934





〜 音楽教師としての道 〜


1893年(19歳)ロンドンの王立音楽院に入ったホルストは、
そこで、ピアノ・オルガン・トロンボーンを学びました。

父親は、彼にピアニストになることを望みましたが、彼自身は作曲を好み、
また、前述の手の神経炎から、彼はピアノを断念せざるをえませんでした。

1898年(24歳)王立音楽院卒業、主席トロンボーンでありました。
(呼吸器を示す星が弱いと出ていますが、彼の信念に驚かされます!)

それからは、しばらくトロンボーン奏者として活躍しますが、その職を辞し、
1903年(29歳)から、ジェームズアレン女学校
1905年(31歳)からセントポール・女学校
1907年(33歳)からモーリー・カレッジで教鞭を取り、作曲活動も意欲的に行いました。

また、惑星の発表された1920年(46歳)から三年間、
母校の王立音楽院とレディング大学でも教職についています。

1932年(58歳)にはアメリカのハーバード大学の客員教授に招かれました。




〜 ジュピターの書かれた経緯 〜

1941年、第一次世界大戦勃発。

この年、徴兵試験が行われました。
当然、ホルストも受けたのですが、結果は不適格でした。
彼の幼少時代が、病弱であったことはお話しましたが、
大人になってからもホルストは、あまり体調がおもわしくありませんでした。

健康だった友人たちは、続々と異国の地へ戦いに赴きました。
ホルストは、自分の体のことを悔やんだそうです。
出来ることなら、自分も一緒に行きたかった、と。

国のことを思う彼だったから、それはなおさらのことでしょう。
その、絶対的な孤独感は、

ホルストを作曲へと駆り立てました。

「気持ちの転換、実際的な進行の始まり」@《占いの章》参照


占星術において、
火星(戦争をもたらす者)⇔金星(平和をもたらす者)
木星(快楽をもたらす者)⇔土星(老いをもたらす者)
はそれぞれ相対する星の組み合わせとなっています。

ホルストは、その順番に作曲を重ねていきます。

さも、今、起こっている戦争を終結するための、
国や、世界や、人類が、本当に幸せになるための方法を、
探っていくかのように・・・。




〜 「シェーンベルク」と「ストラヴィンスキー」のもたらしたもの 〜

ホルストが「惑星」を書き始めた頃のことでした。

シェーンベルクとストラヴィンスキーが、イギリスに演奏旅行に来ました。
シェーンベルク、ストラヴィンスキーと言えば、
現代音楽を語る上ではずせない2大巨匠です。


彼らの音楽は、いままでにはなかったまったく新しい気風に満ちていました。



ホルストの組曲「惑星」は、はじめ、「惑星」という名前ではなしに、
「7つのオーケストラ曲」として作曲されていました。
これは、シェーンベルクの「5つのオーケストラ曲」を彷彿とさせます。
実際、イギリスの演奏旅行の際、シェーンベルクは、
自作のこの
曲を指揮していたと言いますから、
ホルストきっと、この演奏会を観て、感銘を受けたのに違いありません。

それにしても、ポピュラーを嫌ったと言われているホルストが、
なぜこうした人気作曲家の影響を、
そのまま、この惑星に取り入れるようなことをしたのでしょうか?






←《占いの章》   《木星の章》→