組曲『惑星』op.32 より 木星(ジュピター)

《占いの章》

グスターヴ・ホルスト
(イギリス)
1874-1934




では、『ジュピター』占ってみたいと思います。
まず、ホルストの生年月日と名前で、
ホルストとはいったいどんな人だったのか?を
観てみることにしましょう。




ホルストは、1874年9月21日生まれ。九星:「九紫火星」 干支:「甲戌」
グスターヴ・ホルスト(Gustavus Theodore von Holst)

ホルスト家は、祖父の代にスウェーデンからイギリスに移ってきました。
父親はピアノ兼オルガン奏者、母親は彼のピアノ学生でした。
母親は体があまり丈夫でなく、ホルストが8歳の時に、亡くなっています。
ホルスト自身も、弱視と喘息そして右手の神経炎に苦しみましたが、
周囲に理解されずに、とてもつらい想いをしたようです。



ホルストの、九星「九紫火星」という星は、
美しいものを好み、明るい性格ですが、
やや見栄っ張りなところがあり、人の下に付くことを望みません。
また、熱しやすく醒めやすいところがあります。
また、学者肌なところと、神秘的なものを好む傾向があります。

彼の生まれた月の九星は、「七赤金星」は、
人を楽しませることが出来、また、人の心を読むことに長けた星でもあります。



そんな彼の運勢を総合して申しますと、「自分に厳しすぎるところがある」です。
信念の人であり、大変な努力家です。
また、人からも十分に支援してもらえる運気をもっていますが、
ひとつの事柄が完成に近づくと、
とたんにそれに対して疑問を感じ、
徹底して、相対する世界を研究し、
そこでやっとバランスが取れていくというような、
複雑な個性を秘めています。


ホルストの幼少時代の苦労は、
私が通常使用している気学の盤には、出ておりません。

責任感の非常に強い彼も、また、迷いの中に生きていました。
グノーのように、宗教家を目指そうとはしなかったのは、
現実主義なところが邪魔をしているからと思われます。
しかし、友人の影響で、なんと西洋占星術(占い)を学んでおり、
それがこの組曲『惑星』に大きく反映しています。

『惑星』の中に出てくる太陽系の星たちの曲名は、
実はこの占星術の示す意味を元に作られたそうです。
なぜか?
もちろん!人を幸せにするためです。
ということは、ホルストは、開運!クラシックミュージックの
大先輩ということになりますね。

また、東洋思想にも興味を持ち、
サンスクリット語の研究などもおこなったそうですが、
これまた、なんと!東洋組曲(1909)や日本組曲(1915)!という曲も書いています。
驚きですね!



ホルストは、モーツアルトとおなじように、
幾つかの曲を、同時進行で書き進めていったそうです。

この組曲『惑星』も、きっとそのようにして作られていったはずですが、
『惑星』作曲の経緯には、
実は、ちょっと怖い暗示が含まれていました。

@火星、戦争をもたらす者

1914年、最初に作曲されたのは、火星でした。
現在、分かっているデータでは、この年の8月以前に書かれたとされています。
ちなみに、占星術の世界ではこのようなことが言われています。
『人々が、戦いをもたらすこの星を意識すると、必ず地上に戦いがもたらされる』と。

この年のホルストの運勢は、「気持ちの転換、実際的な進行の始まり」です。
この年、ホルストは40歳。前厄でした(ここでもグノーに共通します)。
しかし、最も驚くべきことは、1914年6月28日のサラエボ事件
(オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が、
セルビア人の青年に銃撃された)がきっかけとなって、
第一次世界大戦が始まったことです。
ホルストはいったい、どんな気持ちでこの曲を書いたのでしょうか?
A金星、平和をもたらす者 / 木星、快楽をもたらす者
同じく1914年。この年の秋頃には、金星が、
年末頃には木星が、それぞれ書かれました。
当時の戦争の様子を、人々は、
「な〜にクリスマス頃までには終わるさ」といった
気持ちで捉えていたようです。
しかし、戦局はますます激しさを増していきました。
ホルストの組曲が、後発表された頃には、
当時の人々にもとても新鮮なものとして受け入れられ、
とても人気が高かったようです。
   しかし、ホルストはこれらの曲ばかりが、
民衆に受け入れられるのを、好ましく思いませんでした。
その理由は。。。
あとでお話させていただきますね。
B土星、老いをもたらす者 / 天王星、魔術師 / 海王星、神秘主義者

翌1915年。次いで、三曲が書かれました。
土星は、この年の夏ころに。天王星は、8月頃。海王星は秋に書かれました。

この年の彼は、「前年のことがらを、より集中して推し進めていく」です。
ホルスト自身は、惑星の中では土星をもっとも気に入っていたようですが、
土星とは、老いをもたらす者という意味の他に
「注意深く、集中してじっくりと研究を重ねる」
という意味があり、
彼の性格にもっともなじんだ星の意味であろうと推測します(占星術)。
ちなみに、同様の意味は気学よりもむしろ姓名判断にしっかりと出ており、
また、この年廻り、ホルストにとって本厄(穴の中)です。
本来低迷なはずの本年がむしろ、
彼にとってはじっくりと創作に取り組むことが出来た
良き年であったということになります。
C水星、翼のある使者
翌1916年。水星が書かれ、組曲『惑星』は一応の完成となりました。
この年の彼の運勢は、文字通り「完成」を意味しています。
しかし、完成のなかにおいても
「準備完了」といった意味にとります。
42歳。ホルスト、後厄の年です。
Dオーケストレーション完成
翌1917年。ホルストの運勢、最高の年です。
後世にこうして大人気となった曲ですから、
本来この年で発表ヒットしていておかしくありません。
ここからみても、彼の石橋を叩いて渡る気風が読めて面白いですね。
また、私にはわかりませんが、ここにおいてこそ、
ヒットとなる何かが作られたのかもあるのかも知れません。
E非公式に発表
翌1918年。彼にとって、とても意味合いの深い年回りです。
言わば、彼自身が完成したのが、この年であった、
と書かせていただいてもよろしいかと思います。
エルガーが威風堂々を発表した年(大吉でした)と同じ年齢です。
ただ、一点だけ注意すべき点は、陽極まりて陰。
彼の運気は、早くも影をおとし始めています。
なぜ彼はこの時に公式発表をしなかったのでしょうか?
彼はこの年、ごく限られたひとたちのなかで、非公式という形でこの曲を発表しました。
また、同年ホルストの名前のなかにあるvon(貴族の称号)を彼自身の手で捨てました。
この年、5年に渡って繰り広げられた第一次世界大戦は、締結しました。
F公式に発表
1920年10月10日。
いよいよ、組曲『惑星』はクイーンズホールにて正式に発表されました。
この年の彼の意識は、すでに次の次元へと移行しています。
このことから、類いまれな、精神性の高さを感じさせます。
この年の初め、1月10日。世界では、国際連盟の調印式が行われました。

いかがですか?
偶然と言ってしまえばそれまでですが、
ホルストの『惑星』の作曲の経緯と、
第一次世界大戦前後の歴史の経緯は、
見事にリンクしております。そんななかにおいて、
このジュピターはいったいどんな役目を担っていたのでしょうか?






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