組曲『惑星』op.32 より 木星(ジュピター)
《木星の章》
〜 「木星」と「土星」 〜
ホルストの作品で多くの人に知られているものは、
この組曲「惑星」ただひとつと言っても良いでしょう。
そのことについて、後年、ホルストは不満を持っていたそうです。
本来、彼は、惑星のなかでも『土星』を好んでいた、と言われるように、
「注意深く、集中してじっくりと研究を重ねる(占星術『土星』の意味するもの)」
タイプが見受けられます。
ホルストのなかで、イギリスという国を良くしていく方策としては、
国民が忘れてしまった、国に本来ある厳格さ、毅然とした姿勢、成熟さが、
何よりも必要だと感じたのでしょう。
そして、それを音楽を通じて伝え、気づかせることこそが、
自分の一生かけての使命だと思ったのでしょう。
それは、 王立音楽院で出会い、生涯の友となったヴォーン・ウィリアムズとともに、
イギリスの民謡の研究にいそしみ、
他の作品のなかに巧みに生かしていることからみても明らかです。
ホルストは、それ以降どんなに求められても、
「惑星」のような曲を書くことをしませんでした。
〜 今、あらねばならないこと 〜
新進気鋭であった「シェーンベルク」「ストラヴィンスキー」らの、
影響を受けた、「惑星」を彼はなぜ創作したのでしょうか?
それは、ホルストが“ 今 ”に生きたからです。
時代は戦局に突入していました。
ホルストがいままで学んできたと思われる、
正しさ、なつかしさ、公平さでは、その時代を乗り越えていくことはできません。
彼は、自らの想いを超えた、あたらしい息吹を時代に吹き込むことになりました。
彼のなかから、まったく新しい音楽が誕生しました。
それが、組曲「惑星」です。
ホルストは、惑星となるこの曲のことを、
最初『モード・ピクチャーのシリーズ』と呼んでいました。
訳せば、『現代的世相』とでも言いましょうか。
彼は、過ぎ去った過去ではなく、現実をこそ見据え、
今の、そして自分の願いや祈りをこめて、この「惑星」を作ったのです。
木星(ジュピター)
木星は、占星術のなかでの最高の吉星です。
人が成功するためには、自分の努力だけでは社会に認めてもらえません。
その努力を評価するものこそ、必要になってくるわけです。
ホルストは、忍耐・試練・研究の星である、土星を好みましたが、
しっかりとしたその「自分自身」の土台があってこそ、
木星の持つ“成功”“希望”“喜び”といった意味が、生きてくるわけです。
まったく努力しない人間には、
いくら木星のエネルギーが、降り注がれている人間であっても、
成功はありえません。
たとえ、一時成功して名誉を得たとしても、
実力を伴わないものは、自ら堕落してしまうのです。
繰り返し、民衆が彼にこの曲を求めたのには理由があります。
それは、惑星のなかでも最大の規模を誇る、
木星(守護神は主神ゼウス)の星の波動こそ、
人々が求めた幸福の象徴だからです。
ホルストは、棚ぼた的な幸福を嫌いました。
彼は、「惑星」を組曲としての演奏にこだわり、
ひとつだけ(たとえば木星のみ)を、演奏することを許さなかったそうです。
しかし、彼の人生にとっては、
本当に必要な要素であったと思われるのです。
ジュピターのなかでも有名な冒頭のテーマは、
まさに苦労を重ねた、彼の人生の夜明けを表すものでありました。
この曲は、必然的に生まれて参りました。
それは、神が彼にこの曲を作らせたとしか思えません。
ホルストの人生が、幸福であったかどうか、
それは私には分かりません。
しかし、鑑定を続けるうちに、
彼がいかに偉大な作曲家であるということが、分かりました。
まっすぐで、誠実、深遠である彼の人生、彼の音楽は、
現代を生きる私たちに、必ずや何かを教えてくれることと、私は信じます。
この曲を聴くと、こんなことが起こります。
and more・・・
(下記のコントロールパネルの音を消してからお聞きください)
〜 そして、ふたたび・・・ 〜
1961年、指揮者のカラヤンがウィーン・フィルの演奏会で
この曲(組曲『惑星』)を取り上げたことで、
しばらくの間、埋もれていたこの曲が、ふたたび脚光を浴びました。
それはこの年、4月に世界ではじめて、人類が宇宙に旅した年でありました。
ジュピター
◎実際の木星の姿について |
木星には、大地というものがありません。巨大なガス体です。 90%が水素。10%がヘリウムです。 これが太陽とおなじ成分であったことから、「太陽になり損ねた惑星」などと呼ばれています。 見事な大赤斑(だいせきはん)は、自転周期約10時間というスピードによって、 大気や雲が激しく動いていることによります。 衛星を16個もっており、また土星のような薄い輪もあるのだそうです。 暦の十二支は、この星の公転周期が12年ということから、考え出されたものです。 |