人生の書

3、義理と人情

 「義理と人情 秤にかけりゃ 義理が重たい 男の世界…」
人としての美徳が忘れられて、早十数年。
「義理と人情じゃあご飯を食べていけないわ」と、恥ずかしげも無く言っている人を見ると、虚しくなる。
人は、パンのみに生きるにあらず。義理とは、人としての生きる道である。決して狭義だけの意味ではない。
冒頭の有名な詩は、高倉健さんの『唐獅子牡丹』という歌の出だしの部分だが、義理とは、大いなる義務と訳せばよろしい。人情は、「可愛そうだな」とか「こうしてやりたいな」という人としての文字通り「情」の部分。やりたくない仕事を無理にやっているというのは、もちろん義理ではない。
ただ、お金をもらえて、その日のご飯が食べれて、メリットのない人間とは付き合わず、相手が望もうが望まなかろうが無理やり商品を売りつけてお金を得るのだとしたら、獣と同じである。そういった輩に、どこに人としての価値があるというのだろうか。

狭義の義理だって、大切なことである。

やってもらって当たり前、要か不要か、頭の中で判断して、不要と思えば切り捨てる。
好きなもの、嫌いなもの。そうやって振り分ける。

果たして人は、好きなことだけをして生きていくことは出来るだろうか?
否、人生はそのように出来ていない。
社会の仕組みがどうこうと、私はそんな野暮なことは言わない。

人が生きるということと、現代の日本の社会構造云々とはまったく別のことである。

義理を重んじ、人の情を大切に生きる者は、過去であろうと現代であろうと、人に好かれ、社会に好かれる。義理を捨て、人の情けを失った者を、誰が助けようとするものか。
たとえ、「私は何も出来ない」と言っているものが、この法則をしっかりと守ることが出来たのならば、それはもはや何も出来ないのではない。人としての道に叶う人生をしっかりと歩んでいる証拠である。

誠に生きよ。義理を重んじよ。悪い人間との義理は、義理とは言わない。それは、あなたの心の弱さである。強く生きよ。勇気をもって生きよ。不義理をしている者は、不義理から早く脱せられるよう、あなた自身の出来る限りの誠を生きよ。

「義理と人情」
紫微垣の最も大切なテーマの一つである。

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