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弦楽四重奏曲第17番へ長調作品3-5第2楽章『セレナーデ』

ホフシュテッター
(ドイツ)
1742-1815



(え?ハイドンじゃなかったの?と思われた方、下記の説明をご覧ください)

【中吉】


他のために生き、人々から尊敬されるような人徳が授かる。
様々なこだわりを捨て、本来の穏やかな自分を取り戻すことが出来る。
傲慢な人間がこの曲を聴くと、謙虚さが備わってくるが、
元々謙虚な人間は、他の曲を多く聴いたほうが良いでしょう。




この曲は、
『弦楽四重奏曲第17番へ長調作品3』という6曲の作品集の中の一曲で、

長い間、交響曲の父と呼ばれたヨーゼフ・ハイドンの作曲したものと考えられていました

しかし、1964年になって、実はハイドンの信奉者であった、
ホーフシュテッターの作曲したものだということが分かりました。

弾むような明るさと親しみを感じさせるこの曲は、

本来、人が持つ天真爛漫な魅力をたたえているように感じさせます。

 


『ハイドンのセレナーデ』について

弦楽四重奏曲第17番へ長調作品3-5第2楽章は、
長らく「ハイドンのセレナーデ」と呼ばれ、
親しまれて来ました。

しかし、現在ではホーフシュテッターの作品であることが明らかになっています。
ホーフシュテッターはヨーゼフ・ハイドンの信奉者でありました。




ホーフシュテッターは、オーストリアのベネディクト会の修道士でした。
そして、ハイドンの音楽様式に倣って自らも作曲を行ないました。
彼は作曲で生計を立てていたわけではありませんので、
なんとアマチュアの作曲家ということになります。

これが明らかになったのは、まだ最近のこと。
1939年頃から、本当の作曲者の存在が問われていましたが、
1964年モーツァルト研究でも名高い、
H.C.ロビンズ・ランドンらによってそう結論づけられました。

ハイドン(1732-1809)と同じ時代にありましたから、
楽譜出版社が、「ハイドンの名にしたほうが売れる」ということで、
「ハイドン作」として発表されてしまったようなのです。
(何しろハイドンは、その様式を完成させた『交響曲の父』ですから)

ホフシュテッターの生きていた当時は、
そういったことがごくあたりまえに行われていたようです。



しかし、これほど有名になったということは、
この曲がまるで、
本当にハイドンが作曲したほどに素晴らしかった、ということになります。



私はこの曲をご紹介する経緯で、この事実を知りました。


思いがけず登場した、「ホフシュテッター」。
果たして、いったい彼はどんな人だったのでしょうか?





セレナーデ





では、『ハイドンのセレナーデ』占ってみましょう。

まず、ホフシュテッターの生年月日と名前で、
ホフシュテッターがどんな人だったのか?を見てみることにしましょう。




ホフシュテッターは、1742年4月24日生まれ。九星:「六白金星」 干支:「壬戌」
ローマン・ホーフシュテッター(Roman Hofstetter)
ドイツ、バートメルゲントハイム近郊に、双子の兄弟として生まれました。

オーストリアのベネディクト会の修道士でした。
ホフシュテッターは1763年(21歳)アルモルバッハ(現在バイエルン)の
ベネディクト会の大修道院に修道士になりました。
1766年(24歳)には司祭となり、その後院長となりました。
1803年(61歳)修道会が解体するまで、この場所に留まりました。




ホフシュテッターの、九星「六白金星」という星は、
もっとも天に近い星で、清く、正しい、純真さを持っている男性性の星です。

彼の生まれた月の九星は、「三碧木星」という星であり、
新しいものへの感性を強く持ち、愛情深く、想像力が豊かであり、
ズバリ、音楽に対する興味を強く持つ星です。



ホフシュテッターを総合して占ってみると、
まず、とても
まじめな方だということが分かります。
芸術や、学問を好み、人望厚く、家庭を大切にしますが、
慎重すぎて、
好き嫌いの多いところがありますね。
様々な困難があって、苦労したと思います。
プライドが高いわりには、心配性なところもあったりして、
ちょうどこの曲とおなじように、
親しみのある人間性を持たれた方だったのではないでしょうか。




『ハイドンのセレナーデ』がパリで出版された1777年、ホフシュテッターが35歳の年でした。
今回はこの年に注目してみたいと思います。

気学の盤で見ると、この年の彼の運勢は、
大吉
物事の完成、躍進を表しています。
しかし、行動面を観てみると、表立った行動が感じられず、
精神的な喜びばかりが、どこまでも高みに昇って表れています。



ここで、ハイドンの星を出してみたいと思います。
ハイドンは、1732年3月31日生まれ。九星は、七赤金星となります。
(七赤金星は、喜びの星。人生の豊かな楽しみ全般を表す星です)

ハイドンの名がつけられたこの曲が出版された1777年は、七赤中宮。
これは干支で言えば、ハイドンは年男にあたります。
様々なことがらが、ハイドンを中心として、動いていくのです。
しかも当のハイドンは、中心にいますから動きません。
周囲がそのように動くのです。


前述したように、この曲はホフシュテッターの作曲したものにもかかわらず、
「ハイドン作」という名目で出版されてしまいましたが、
やはりそのせいもあってか、楽譜もよく売れました。



それから、1964年にH.C.ロビンズ・ランドンが真相を発表するまでの、
長い年月、この曲はハイドン作によるものだということを、
誰一人信じて疑わなかったのですから、すごいものです。

当のホフシュテッターは、自分の作曲したこの曲が、
まさかそのような展開になっていたなどとはを、
まったく知らなかったというのですから、驚きです。
自分の憧れのハイドンの名前が、自作の曲につけられて後世に残ったことを、
ホフシュテッターは今、どんな気持ちで過ごしているのでしょうね。



ホフシュテッターの双子の兄弟である
ヨーハン・ウルバン・アーロイスも、役人であり作曲家でありました。
(7つの交響曲等の作品あり)




また、 「スウェーデンのモーツァルト」と呼ばれた
ヨーゼフ・マルティン・クラウス(1756-1792) とは、
同郷の出身だったこともあり、緊密な関係にありました。





この曲を聴くと、こんなことが起こります。







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セレナーデ


  

   
写真提供 / 北の大地の贈り物 Photo by (C) RARURU