愛されなかった時、どう生きるか?
〜人の言葉で自信を失ってしまった人へ〜
聖書の創世記。
アダムとイブは、禁断の木の実を食べて知恵を得ました。
仏教では尊いとされるこの言葉も、
基督教の聖書の中では、必ずしもそれは良いことばかりではない、
と説いているような気が致します。
智恵は、とても美しい言葉ですけれど、
愛を持たない狡猾な知恵は、
どんなに正しく使われようとも、
人を傷つける矛であると私は思います。
人に智恵がもたらされたことによって、
人間同士の関係に生じた弊害とは、
一体なんでしょう?
貪欲、嫉妬、恨み、呪い…
すべて、人が想うことによってもたらされる不幸の種です。
近代、人はますます知恵を膨らませ、
他者より優位に立とうとして、
人の心を推し測ろうとする、
陰険な心をそれぞれが持ってしまいました。
手塚治虫が描いた漫画、
「三つ目がとおる」の中には、
主人公の三つ目の少年写楽が作った、
脳みそをところてんにする装置が登場します。
劇中、写楽はこういいます。
「人間の脳みそはところてんになったほうがいいと思う」
そうしなければ、愚かな人類は自らの手で、
人類を滅ぼしてしまうだろうと。
この写楽という少年は、
彼自身三つ目の超能力者ですが、
実に不思議な少年で、
人類を滅ぼしてかつて栄えていた、
三つ目人の王国を創ろうとしています。
その三つ目人の子孫を残すために、
和登さんという同級生の少女に恋をしますが、
普通の人間の和登さんが、
人類を滅ぼす手伝いをするはずがなく、
結局はその天才ぶりは、
三つ目をばんそうこうでふさがれることで、
封印されてしまうのです。
周囲に事件があった時だけ、
都合の良いときだけ、
ばんそうこうをはがされるものですから、
なんだか写楽は、
人類にとって、
そうですね・・、
都合の良いときにちやほやされる「時の人」
といった感じなのでしょうか?
人の心くらい、かんたんに読める力があるのでしょうから、
気枯れのない少年写楽が、
貪欲の人類を滅ぼすことには一切抵抗など、
なかったに違いありません。
現代人はね、
みんなが自分を過信しているんですね。
誰もが、自分がいちばん正しいと想っています。
それだから、嫌な顔をされたり、
嫌な言葉を掛けられたり、
無視されたりすると、
勝手な推測をどこまでも膨らませて、
お腹の中を恨みでいっぱいにして、
人生を生きているんですね。
今、この大変な時代に生きて、
いちばんすばらしい生き方の出来る人間というのは、
人を愛せる人間だと思うんです。
人のこころを知ることは、
とても悲しいことであるけれど、
みんなそれでショックを受けて、
絶望して、
すぐに次の、
自分を決して裏切らない何かを、
いつも求め続けているような気がしてなりません。
その終わりのない歯車はどこからはじまっているのかと言うと、
それは私自身、あなた自身からはじまっているんですね。
やられたら、やりかえす。
傷ついたら、別の誰かを傷つける。。
ほんとうはね、
傷ついている人間は、
人にやさしくなるのが道なんじゃないかと想うんです、
だってそうでしょ?
自分がこんなに傷ついて苦しんだんだから、
あなたにはこんな目にはあって欲しくないと思うのが、
人の心だと思うんです。
もちろん、やられた人間に、
やさしい言葉をかけることはありませんよ。
力のない人はね。
やった人間は、
無自覚でやっていますから、
時には、良いと思ってやっていますから、
時には、喜んでやっていますから、
傷ついたあなたの心は、
紛れもない現実なのに、
決して判ろうとしませんから、
直接対決は絶対にさけて、
その人間の罪を憐れんであげてください。
悪口の言霊は、
その人の悪いオーラに積み重なって、
さらに凶暴化していってしまいます。
憎しみではなくって、
憐れみの温かい波動で、
その人の凝り固まった、
硬く、冷えきった心を、
繰り返し、繰り返し溶かしていくしか、
方法はないんですね。
あなたが、もうこらえ切れないほどに、
救いようのない人間ならば、
投げてしまって構いません。
そのための、
「お陰さま」なのですから。
傷ついた心は、
「誇り」を持って修復するしかありません、
自分とはなにか?
自分は、本当はなにが好きなのか?
何がやりたいのか?
自分から遠いものほど、
嫌いで、理解しがたく、苦労の割には報われないのが、
世の常識でございます。
占いのお客様でも、
心を傷つけられた方は大勢いらっしゃいます。
しかし、その傷口の色が問題なんです。
傷口が真っ黒な人
or
傷口が勲章になっている人
その色だけは、もう100%その人自身の魂の問題です。
たとえ、どんな傷をつけられても、
人は生きていかねばなりません。
世の中には、もっともっと悲惨な人生を生きていかねばならない
人たちがたくさんいます。
「いつもその人と自分を比べてみなさい」
僕は、僕の先生からそう言われました。
筒井康隆さんの短編小説の題名に、
「傷ついたのは誰の心?」
というものがありますが、
感情だけの有形無形の報復は、
まちがいなく、あなたの周囲に広がっていってしまうのです。
後で決して後悔しないためにも、
戦いをすることはもうやめましょう。
武力の武とは、
戈(ほこ)を止めると書きます。
「私が私であること」
「私が私であり続けること」
それを大切に守っていくしか、
愛を守り通す生き方はありません。
寺千代
2007.4.13記事
愛されなかった時どう生きるか?
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