幽霊には、なぜ足がないのか?
今日は、僕の先生に聞いた、
霊とエネルギーについてのお話をしましょう。
僕の先生は、いわゆる能力者でしたが、
ある日、こんなことを話してくれました。
「幽霊には、なんで足がないか分かりますか?」
「いえ」
「それは、表現力。自分をこの世に表わすエネルギーが足りないために、
自分を具象化する力が不足しているのです」
「では、逆に、足のない神様の話を聞いたことがありますか?」
「・・・いえ」
「そうです。エネルギーの塊、もしくは本体である神様に、
エネルギー不足ということは、あり得ないのです。
たえず、光輝いて、エネルギーに満ち、溢れているからこそ、
人を救い、助け、導くことができます」
その後、続け様に先生から聞いた話は、こんな内容の話でした。
以下に記します。
エネルギーは、足から消えていくのだということです。
だから、足のない幽霊がいるのだと。
たとえ、それが怒りや恨みのエネルギーであったとしても、
パワーが強ければ、それはあの世で生きるということの力となります。
生きるということは、出来れば善に徹するに越したことはありませんが、
このことを考えたとき、何もしない無力な状態よりは、
悪に徹してでさえも、エネルギーを得たほうが、懸命です。
悪は、時として善に変われるチャンスがあります。
しかし、無は、無でしかないのです。
これは、実はこの世でいちばん重い罪です。
幽霊は、足元から消えてゆき、
序々に上半身が見えなくなります。
やがて、目だけとか、鼻だけとかになって、
最終的には、あの世で生きることも出来ずに消滅してしまいます。
ですから、この世で生きるということは、
この世で出来るだけたくさんの、エネルギーを体に充足させ、
あの世に帰ることが、生きることの目的なのです。
実際の活力、原動力としての体内エネルギーと、
愛による祈りと、感謝のエネルギーが混ぜ合わさった時、
その人のオーラは一段と輝きを増します。
こうして、人よりたくさんのエネルギーを放出している人は、
現人神(あらひとがみ)。もしくは、尊(みこと)と呼ばれ、
あの世で神になる資格を得たという証拠なのです。
私は占い師であり、霊の世界は「知る」立場だけに留まっておりますが、
この世の人の使命を探るとき、
あの世の世界を学ぶことは、
何のために生きるかという人生最大の難問を知る、早道でもあるのです。
また、死を見つめることは、よりよく生きるための覚悟でもあります。
今日の話が、どうぞ皆様の、開運のための手助けとなりますように・・・。