親とわたし
〜あなたが私である理由〜
親とはね、たとえ何にもしてやれなくったって、
わたしの苦しみの何分の一かを、たえず抱えて生きているものなんです。
支離滅裂な、こんな私のことを、たとえ理解できなくったって、
私が傷つけばおんなじように傷つき、おんなじように夢のなかで泣いているんです。
わたしが笑えば、親も笑います。
わたしがどうして,そんなに可笑しがっているのか、
何を笑っているかは、よくは知らないけれど、
わたしが笑うことがただ嬉しくて、どうしてだかなんだか嬉しくって、
おんなじように笑うんです。
ふと、親はいつしか消えていなくなります。
わたしの何分の一かが、欠けて砕け散っていきます。
ののしり、せめたて、はりあげ、うっとしかった、その存在が、
唯一、無二、絶対の、
かけがえの無い、たいせつな、たいせつな存在だと、
その時、いっぺんに、
いやと言うほど、
いやというほど、
思い知るわたしがいることでしょう。
わたしは、あなた。
あなたは、わたし。
親とはそんなたった、ひとつの、
私が私であるあかし。
寺千代
2007.1.5記事
親
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